じゃあやめちまえよ
あまり父の悪口は書きたくないのだけれども、頭にきたので記録しておく。
「夢とか目標があったらキチガイになんかならないんだよ、ちょっとは(宗教の)活動をやって色んな人を見たら?学会には変な人も嫌な人もいるんだよ」
「そりゃいろんな人がいるけど、どんな組織だってそうでしょ、海自だってそんなんだったんでしょ」
「1つの隊1隻の艦よりも学会のほうが広い」
「広いんならその変な人嫌な人も幸福にしてやったらいいじゃん」
「お前何を学んできたんだ?仏であることが必ずしも幸福であることは…」
「ノーだけど、そんなこと言ったらキリスト教も幸福の科学も大して変わんねえよ」
「じゃあやめちまえよ」
「今やめたら迷惑かかんだろ」
「知らねえよ、好きにしろ」
湯加減
典型的昭和のお父さんたちは一番風呂に入っていたようだが、我が家の父はなぜか一番最後、就寝直前に入りたがる。
一日に染みた煙草の臭いを落とすのだそうだが、いくら体を洗っても服に臭いが移っているから周りからしてみればまったく意味がない。
湯加減にも厳しい。
父はだいたい日付がかわるころに眠る。
私や他の家族が20時くらいに入りきってしまうと、23時半までお湯を温かくしておくために追い焚きをしなくてはならない。
気温によって追い焚きの時間を変えなくてはいけない、この加減が難しいのだ。
ぬるいと小言を言われるから皆必死でボタンをポチポチ押している。
湯加減はまだいい、父が早く眠ろうとする日がひどいのだ。
22時半くらいに眠ってしまう時は、全員が22時までに入らないといけない。
しかし、用事をひと段落つくまで済ましてしまうと22時をオーバーしてしまう時がある。
足を忍ばせて1階へ降りると、父はやはり小言を言ってくる。
機嫌の悪いときは夜にも関わらず大声で「遅ぇんだよ、早く入れよ!」と急かしてくる(近所迷惑だと隣人たちに暗に言われるからやめてほしい)。
こういうときはヒゲも剃らず、風呂にも浸からずシャワーで済ましてしまう。
触らぬ神に祟りなし、である。
いや…本当は神になぞらえたくないのだが…
北帰行
K君が九州に行けないかもしれないと言い出したから、机上で大阪に行ったり北海道に行っていた。
中学生の頃から、机上旅行をしてしまうとついついそれを現実にしたくなる節がある。
そして只見線に乗ってしまった(現在は不通区間があるから乗っておいて良かったと思っている)。
高校を中退してやけくそになって日本三景をまわり、西成をブラブラしていたのも時刻表のせいであった。
松島、天橋立、宮島と来て西成で串カツを食らい、1泊1400円のドヤ(というよりはバックパッカー宿)で中東系の男に睨まれたが、一番落ち着いていられたのは美しい景気の中よりも新今宮駅のガード下だった。
ホームレスのおっちゃんがギターを弾いていて、それを聴いてるホームレスが「よっ、○○ちゃん!」とモクをふかす。
スーパー玉出でアルミホイルに入ったどて焼きと1尾49円の海老天を買って、ドヤに設置してあったガスの自販機に100円玉を入れて、温めて食べた。
食い物だけは、西成は天橋立のブリには勝てなかったようだ。
今度行くときは酒が飲めるようになっているから、「今日の仕事は辛かった…あとは焼酎をあおるだけ…」を西成でやってみるのもいいかもしれない。
今年の夏に行って鬱状態を悪化させてしまった道東旅行も元々は机上旅行だった。
釧路を足掛かりにして根室や釧路湿原を見て回った。
湿原を見るために塘路駅で降りて、喫茶店がレンタサイクルをやっていたからそれを借りてコッタロ湿原を見渡せる展望台まで40分くらいかけて行った。
果たして眺めは最高だった。
レンタサイクルのおまけでついてきた双眼鏡を覗くとエゾシカの親子が佇んでいて、私もあの親のもとに生まれたかったと羨んだ。
来た道を戻って駅に近い展望台に行くと、大学のサークルらしき集団を見て辟易した。
オタサーの姫なるものもそのとき初めて見た。
あまり近づきたくなかったから、シラルトロ沼のほうへ向かった。
クロスバイクに乗った集団とすれ違って、レンタサイクルに乗っている私をジロジロと見ていた。
途中で見つけたレストランに入ったものの、マスターとの会話が弾まなかった。
駅に戻るまでずっと右側にいたシラルトロ沼だけが私の支えとなっていた。
次の日、根室を訪れてカニを食べていた。
カニ屋は家族経営らしく、居間なのか店なのかよく分からないところでおばちゃんやらお兄さんやらに話しかけられたのだけれども、私はそれを剣豪のごとくばっさりと途切れさせた。
しかしカニは500円なのに美味しかったし、あまり会話が弾まなかった相手にも(営業だろうが)「また冬に来なよ」とおばちゃんは言ってくれた。
その言葉に引き付けれらたのかどうかは分からないが、机上の私は根室本線を西へと突き進んでいた。
支持母体の選挙戦
私が一応属している宗教団体は、某政党の支持母体である。
地方選国政選を問わず、Friendに某政党への投票を電話や徒歩で依頼してくるのだ。
そのツテは表にされ、自らの出口調査(メールや電話)によって某政党に入れたとわかれば依頼された人の名前に色とりどりのペンで印が付けられる。
自らの投票と"Friend"の投票を確認すると、地区をまとめる信者の家に入ってただ念仏を唱えるのみである。
ずっと唱えていなければいけないわけではない。
中座して投票所に行ってもいいし、用事があれば期日前投票しておいて出かけていても良い。
昼食用にとおにぎりやお菓子を差し入れてくる人もいるし、地区の長はお茶を用意していたりする。
それで議席が伸びれば結構なのだけれども、実際に党の公約や他の党のそれを理解できている人がどのくらいいるかはわからない。
結党以来、こんな手法で得票数を増やしていっているのだ。
党員や所属議員がまっとうに政治を勉強してきた人たちだからいいものの、もしも素人の集団だったらと思うとゾッとする。
Twitterで、有権者は公約なんて見てないだとか大政党に入れれば中道だと思っているとか言われているけれども、1つの党の内でもこうなのだから、やっぱりそうなのかな…と思いながら私も念仏を唱えていた。
大臣のムクドリ
私は16時くらいから1時間ほど散歩をするのが習慣になっている。
冬になると日没が16時40分くらいになるから、鳥が寝床に帰る時間と散歩の時間が被る。
電柱のある道へ出ると、スズメやらムクドリやらが電線いっぱいにとまって道へボタボタと糞爆弾を落としている。
犬と散歩をしている人たちは電柱を避けて通るのだが、たまに犬が爆撃を食らったりしているのを私はほくそ笑みながら歩く。
しかし息が白いのがバレるのか、だいたい吠えられてしまう。
いつもすれ違うおばあさんのコーギーが一番優しくてかわいい。主人と似て彼は寡黙なのだ。
ベッドダウンと田畑を仕切る川をまたぐと、ぽつぽつ立っている農家とおどろおどろしい森が何箇所か見える。
鎮守の森と"大臣"の邸宅だ。
地域では広い土地を持っていたり、金持ちの家を「名字+大臣」で呼んでいる(過去に政治家を輩出したかどうかは関係ないらしい)。
噂話で場所を示すときに「何々大臣のとこ」と言ったりするのだ。
昼間、田んぼでカエルやミミズをつついた鳥たちは日が暮れると森へ帰る。
散歩と経路にある大臣の森にはムクドリとごく僅かにハトが帰ってくる。
ムクドリは堂々と群れをなして木々の間へ入ってゆくのだが、ハトだけはムクドリの邪魔にならないよう端で小さな木にとまろうとバタバタやっている。
その昔、豪農だったらしい大臣たちは今やハトのようなものなのだろうか…
と庄屋の栄光と没落の物語を書き始めたいが、実際に彼らは没落などしていない。
私が通っていた小学校に近い大臣は、”好意で”小学校の全児童に枝豆を(1枚までだが)レジ袋に詰めさせていた。
160人前後いたのだが、それに採らせてもまだ出荷するには十分すぎる大豆を育て、稲を刈っていた。
別の大臣でも、やはり大量の米を農協や直販で売ったりしている。
そうでもないと植木屋を呼んでまで森を管理できないだろう。
単純に羨ましい。
出来るならば北海道で農家の弟子にでもなって農場を継ぎ、ホクレンの顔を伺いながらも悠々自適の生活をおくる農家になりたいものである。
九州行
九州へ行くことにした。
以前から『水曜どうでしょう』好きの友人とはかた号に乗って福岡へ行こうと行っていたのだが、あちらが根性をなくしたからはかた号には乗れないことになった。
必然的に青春18きっぷかLCCを使うことになるのだけれども、飛行機だと味気ないし、強制的に水曜どうでしょう気分を味わっていただくために往復とも鈍行列車を使おうと思う。
深夜バスに乗れない苦しみを存分に彼に与えて、彼を夜行バス夜行列車へと誘導する。
東海道線なんか乗ってみろ、東京の概念が分からなければ岐阜くらいまで東京と思ってしまいそうなくらいバカみたいに同じ風景しか続かないんだぞ。
あとメジャーな観光地に男2人で行っても虚しさしかないから行程に池島を組み込むことにした。
2001年に閉山した比較的新しい廃坑だ。
別に廃墟が好きという訳ではないが、最果てに来たという虚無感に近い感情が好きだし、いつかは離島へ行ってみたいと思っていた。
K君、付き合ってもらうから覚悟しておいてください。
博多でラーメンすすったりもつ鍋食べたりという夢は私が壊しておく。
その代わり長崎で水餃子なりカステラなり食べてください。
池島でたまにはひもじい思いをして健康的に生きましょう。