読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ロシアへ持っていったもの

ロシアへ行く際、バックパックへ詰めていったものを旅先の具体的な出来事や利点欠点と絡めながら書いていこうと思います。

 

  • バックパック

これがなければ始まりません。今回はマックパックの「ゲッコ」を使いました。キャリーバッグでも良いかもしれませんが、友人は石畳や工事中の歩道では苦労していました。

  • サブバッグ

街を歩くのに重いバックパックを背負うのは疲れると思ったので。小さく畳めるやつがいいと思います。

  • パスポート
  • ビザ

言わずもがな。

  • クレジットカード

念のため旅行保険は別に加入しておきましたが、旅行保険付帯のものを持って行きました。万が一のことがあったら補償額を合算できるらしいので、念のため。

クレジットカードと同じ手順で使えるものを。ATMから直接ルーブルも下ろせて便利でした。

ウラジオストク空港から市街への道中で何かあった時のために、1万円分を成田で両替しました。

  • 日本円(現金) 

キャッシュカードを持って行かなかったため、帰国時に帰りの足がなくならないように。いざとなったらJRではクレジットカードで切符を買えるようです。

  • 連絡先リスト

自宅やクレジットカード会社、保険会社、在露日本大使館の電話番号を小さな紙に書き出し、ジップロックに入れて貴重品入れに。

  • 貴重品入れ

腹巻タイプのものを。この中にパスポートのコピー、高額のルーブル紙幣、使わないクレジットカードを入れていました。今回、財布は持って行きませんでしたので、紙幣とデビットカードは前のポケットに突っ込んでいました。

  • 小銭入れ

これもポケットに。小額紙幣を一緒に入れていくとちょっとした買い物に便利です。

  • 航空券(eチケット)

自由と放埒の日々への切符。国際線はいざとなったらパスポートだけでも搭乗券は発券してもらえる…らしい。

  • 国際学生証

総合してあまり意味がなかった。発行手数料が割引額より上回った気がします。

  • 靴下
  • 下着
  • Tシャツ

それぞれ3枚(組)ずつ。

  • ジャージ

上下1枚ずつ。寝巻きにしました。

  • ズボン

2枚。

  • パーカー

1枚。着ている分には暖かかったのですが、洗濯したあとの乾きが悪くてフードの部分がめちゃくちゃ臭くなりました。フリースの方がいいのかもしれないです。

  • ワイシャツ

マトモな格好を要求される場面があると思ったので。普段着としても着ました。

  • ジャンパー

暖かかった。多少の雨にも耐えてくれました。

  • 折りたたみ傘

小雨が多く、あまり使いませんでした。

旅行の時はニューバランスのM576を履いています。疲れにくい。

  • サンダル

ダイソーで150円で売っていたもの。シベリア鉄道の中ではずっとこれを履いていました。ゲストハウスでもスリッパの代わりに履いている人がそこそこいた気がします。

  • メガネ

近視なので。予備のものとメガネケース、メガネ拭きも一緒に。

雨の日用。

  • 芯抜きトイレットペーパー

シベリア鉄道で紙切れがあると思いましたが、車掌さんが甲斐甲斐しく働いていたためティッシュの代わりになりました。

  • 粗品タオル

3枚。すぐ乾いて便利。バスタオルがかさばるので代わりにこれを使っていました。

  • 歯ブラシ・歯磨き粉
  • 石鹸

牛乳石鹸を持って行きました。ゲストハウスではシャワーは1人15分まで!とか張り紙が張ってあったので、これで髪からつま先まで洗っていました。

  • シャンプー・リンス

小分けして持っていったけれどもあまり使いませんでした。現地購入でもいいと思います。

  • カミソリ・シェービングフォーム

髭が生えるので。機内持ち込み不可。

  • 爪切り
  • 耳かき
  • 洗濯洗剤

チューブタイプのものを持って行きました。

  • 釣り糸

サンクトペテルブルクのホステルでは洗濯物干場がめちゃくちゃ込んでいたので、釣り糸を自分のベッドの出っ張りにくくりつけてそこでタオルを干していました。

  • バンドエイド

念のため。

マルチビタミンマルチミネラルのものを。病気にならずに済みました。

  • 腕時計

ホームセンターで売っている1000円くらいのをつけていきました。モスクワ地下鉄の改札で左腕をはさんでぶっ壊れたので安物をつけていて良かったと思います。結局スウォッチに行って代打を買いました。

  • 電子辞書

相手の英語がわからなかった時、相手がこちらの英語がわからなかった時に使いました。露和辞典、和露辞典の薄いものでも良かったかもしれません。

地図にもなって便利。

電子辞書よりこっちのほうが役立った気がします。借り物。

  • 文庫本

カラマーゾフの兄弟』を持って行きましたが読みきれませんでした。本を読む前に眠っていた。

  • ボールペン・メモ帳

現地人との意思疎通に。ズボンの後ろポケットにいつも入れておくと、屋台や露天商で買い物をするときにすぐ取り出せて便利。

  • 南京錠・ダイヤル錠・ワイヤー錠

ゲストハウスにバックパックを置いて外出するので、ベッドにワイヤー錠でくくりつけていました。ジッパーにはダイヤル錠。南京錠は使わなかった。

  • 懐中電灯

医者が友人の喉を見るために使った。ゲストハウスで夜中トイレに行く時は便利。

  • 十徳ナイフ

すごく便利。パンは1斤そのまま売られている方が安いので、それを切るために。ソーセージやイクラの缶詰を開けるのにも役立ちました。

  • 耐熱プラスチックのコップ

ダイソー。シベリア鉄道で紅茶を飲むのに使いました。ゲストハウスでも。

  • ウェットティッシュ

シベリア鉄道で風呂なし7日間だったので。それでもジロジロ見られたしあまり意味がなかったかもしれない。

  • ビニール袋

大きめのレジ袋は洗濯するときにカゴの代わりになって便利。食べ物やゴミ入れにも。

食いっぱぐれた時に。帰国してから重みで潰れたのを寂しく食べました。

  • コンドーム

使わなかった。

 

 

ロシアでの17日間への準備

8月27日から9月13日までの間、ロシアへ旅行に出ていました。

東京→ウラジオストク→モスクワ→サンクトペテルブルク→東京

という経路でした。

ウラジオストクからモスクワまではシベリア鉄道で移動しています。

ここではそのために準備したことを綴っていこうと思います。

 

観光ビザの取得

  • バウチャーを入手する

在日ロシア連邦大使館によれば、ロシアビザを申請するためには旅行会社が発行するバウチャーのコピーを申請用紙、パスポートと一緒に領事部へ提出する必要があります。

本来ならば旅行会社やビザ取得の代行業者を通じて、交通機関やホテルその他の料金を払い込んだ上でバウチャーを発行してもらうのが筋ですが、旅行会社では個人旅行よりも高くついてしまうパッケージツアーしかないのと代行業者では1万円前後かかってしまうのとで個人で取得する方法をとりました。

今回は他のブログでも広く紹介されているTravelRussia.suを利用しました。空バウチャーと呼ばれる事前に行動予定を決めずに発行できる、建前は正式のバウチャーを発行できます。シングルエントリーで12米ドルでした。

宿泊するホテルの欄があり、予約も払込も済んでいないホテルを入力できますし、実際に選べるようになっています。一応実存するホテルを表示しているようですが、入出国審査で問い詰められるのを恐れて私は予約済みのホテルを入国しました。

欄を埋めるとバウチャーの送付方法を選択するよう要求されます。ここではEメールを選択しました。送られてきたPDFファイルを開きましたが、ホテルの所在地欄が枠をはみ出し他の欄を潰してしまっていたため、訂正するよう返信するときちんと直してもらえました。トラブルが起きた時のために2日余計に延ばして作ってもらっています。大使館でビザを受け取ると、領事部の良心からかもう1日余計に伸びていました。

f:id:friske6:20151024205258j:plain

↑ 訂正前のバウチャー

  • ビザの申請
バウチャーを入手し、今度は申請用紙に記入して行きます。ロシア大使館のページからオンライン査証申請フォームへのリンクがありますので、案内に沿って入力し、ダウンロード、印刷ののち写真を貼り付け署名欄に署名してバウチャーと共に大使館へと出向きます。
領事部はロシアの祝日を除く平日の9時半から12時半までしか開いていませんので注意しましょう。
2015年7月の時点で、申請日から2週間後の受け取りですと無料で取得することができました。
 

東京→ウラジオストク

8月の時点で東京とウラジオストク直接結ぶのはS7航空のみでしたが、11月現在でもこの1社のみのようです。仁川経由や北京経由なら毎日飛んでいるのですが、直行便に比べて1万円前後高かった記憶があります。

私がシベリア鉄道で乗った列車は隔日の運行であったため、ウラジオストクでは1泊で済むよう成田―ウラジオストク間の週3便の運航と突き合わせました。

11月現在でもウラジオストク線は火、木、日曜日の運航のようです。

スケジュールの調整が早めについたため航空券も早めに購入することにしました。日本とロシアを結ぶLCCが存在しないので、格安航空券でも空席状況で値段が変動するということはあまりなく、早ければ早いほど安く買えると踏んだためでした。約3万円。

今回、直接S7航空のホームページから購入しました。

www.s7.ru

f:id:friske6:20151029152620j:plain

 

iOSからアプリも出しており、ここからも買うことができるようです(Androidは未確認)。

f:id:friske6:20151028041038p:image

 

ウラジオストク→モスクワ

今回の旅行の目的の一つ、シベリア鉄道です。

ウラジオストクとモスクワを結ぶ代表格の列車といえばロシア号(№ 001М)であり、夏期のベストシーズンは毎日運行されているようでした。しかし同じ3等車(Плацкартный プラツカルトヌィ)でも1万円近く差があったのと、ロシア号ではモスクワの到着が早朝になってしまうのとでこちらではなく№ 099Э(愛称なし)の3等を買うことにしました。

 初め、ロシア鉄道(РЖД)から直接買おうとしたのですが、経済制裁の影響もあってかクレジットカードが使えず断念しました。そこで手数料が1000円ほどかかるもののRussian Trainsを使うことにしました。

 

f:id:friske6:20151029165122j:plain

12月2日発のウラジオストク→モスクワの列車を検索してみましたが、夏に走るものよりかなり安いですね。

ロシアでは列車はすべてモスクワ時間で運行されています。上の画像で001Mは04時02分発と書かれていますが、ウラジオストクはモスクワと7時間の差がありますので現地時間では11時02分に発車します。

夏期に走る列車でしたので、実際には3万1000円ほど払いました。

2等車はクペー(Купе)と呼ばれる4人で1室のコンパートメント、1等車は2人個室でして、LUXとして案内されています。

3等車は日本のB寝台に、廊下を挟んで線路と平行にまた2段ベッドが並んでいると説明すれば分かっていただけるでしょうか。

 f:id:friske6:20151029171628j:image

↑酔っ払いのロシア人とインド人

このようにベッドが並んでいます。バケツを持った人物は車掌です。こまめに床とトイレを掃除してくれます。 

 

モスクワ→サンクトペテルブルク

こちらもRussian Trainsで予約しました。モスクワ―サンクトペテルブルク間は大幹線のようで、高速列車の「サプサン(Сапсан)」が約4時間で駆け抜けます。もちろん在来線の予約も選り取りみどりです。私は2階建て車両の列車の「上段」を予約しました。これで2階からゆっくり車窓を眺めることが出来る……と思っていましたが、2段ベッドが1階と2階それぞれにあったため、1階の「上段」で眠る羽目になってしまっています。約1万円。

 

サンクトペテルブルク→東京

悪評高いエクスペディアを利用し、プルコヴォ(サンクトペテルブルク)→アタテュルク(イスタンブール)→成田の航空券を購入しました。全区間ターキッシュエアラインズという大名のような行程ですが、これで東京→ウラジオストクとほぼ同じ3万円でした。フルサービスキャリアなのになぜこの値段で売られているのか見当がつきませんでしたが、落ないことを願いながら支払いを済ませました。

 

その他バックパックに詰めていくもの、小物の購入等ありますが、気が向いた時にまた書くと思います、今日はここまで。

ロシア査証

ロシア連邦大使館は、不動産登記簿上の所有者は「ソヴィエト社会主義共和国聯邦」になっているのだそうである。旅行を計画し、それを実行するためにO君とともに日比谷線の神谷町駅を抜け出した。実行第一歩目は予報外れの雨に見舞われたのであった。雨に濡れそぼりながら、機動隊諸君が着ているレインコートを傍目に見ながら我々は「ソ連」の土地を目指した。

領事部の入り口は狭く、その隣に警察官が立っていたり、歩道をブラブラとしていた。交番の警察官のような気の抜けた立ち方ではなかった。鉄の扉を開け、さらにもう一枚扉を開くと短い階段の後にまた扉があるのであった。

さて、ロシアの観光査証を取得するには旅行会社に旅行確認書(バウチャー)を発行してもらわねばならない。バウチャーには交通機関、宿泊施設等の料金は払込済みである旨の文章が書かれ、どの都市のどのホテルに泊まるか、出入国日はいつか等々、ロシア国内における全ての日程が予定されているということを示している。ただ、馬鹿正直に日本の旅行会社を通じてバウチャーを発行してもらい、その上ビザの取得まで代理させるとなるとべらぼうに金がかかるのであった。ただの紙切れに1万円も払いたくはなかった。そこでロシアの旅行会社に直接発行させることにした。すると、大使館までは自分で行かなければならないが1300円くらいでバウチャーの発行ができてしまうのである。日本の旅行会社も結局はロシアの旅行会社に依頼して発行するようであった。ただ、そのロシアの旅行会社のウェブサイトには「ホテル欄は実際に泊まるホテルでなくてもよい」と書いてあった。バウチャーの制度は有名無実化しているのであろうか。それともロシア政府が黙認しているだけなのかもしれない。

ともかく、我々は銀行や郵便局に置いてあるものとなんら変わりのない受付票をとり、なんら変わりのない機械のアナウンスで窓口に呼ばれた。受付の係官との間にはガラスがあり、下部にインターホンがはめ込んであった。さらにその下のテーブルには箱が埋め込まれていた。そこへバウチャーと申請書、パスポートを放り込むと係官がレバーを押し、箱を彼の手元へ持っていった。ほんの数秒バウチャーと申請書を交互に見、パスポートをめくっていたかと思うとおもむろにスタンプをパスポートにバン、と押し始めた。

「受け取りはいつにしますか?(ウケトリワイツニシマスカ?ではなかった)」

観光ビザは、11労働日以降は無料で発行することができる。無論私はこの良心的価格を選んだ。

「○日に」

「○日ですね、×日に出来上がるので、それ以降自由に来てください」

「わかりました」

「隣の窓口にお並びください」

隣の窓口には、彼の母親くらいの係官が黙々と引換証の印刷とサインを繰り返していた。列に並んで彼女が黙って印刷機を見ているのを私がまたそれを見ていると、さっきの男性係官の列に並んでいたO君の前にロシア人女性が入って係官と押し問答をやっていた。あとで訊いてみたら何か項目のことで揉めていたらしい。それを眺めているうちに母親係官は印刷を終え、サインを書いた引換証を箱に入れて私のほうへ動かした。それをとりクリアファイルにしまった。あとは何もなさそうであるから私は引き下がった。彼女は終始無言であった。

O君を待っていると、押し問答の女性が帰ってきて係官とまた何かやりあっていた。たぶんその子供であろう、男の子が私の足元でキョロキョロと待合室を見渡していた。彼の書類で揉めているのだろうか。

我々は本降りになった雨の中を地下鉄の駅へ向かって歩いていた。これは幸先の悪い天気であっただろうか。いや、そんなことはないであろう。この時の私は大使館で何の問題もなく書類を提出したというだけで湧いてきた自信で、この旅行の安寧を確信していた。

 

道東記 大要

「北海道」というと、広大な大地、牧場、豊富な乳製品や菓子類が頭に浮かぶ。そして道産子たちは苦笑いしながら「東京に見せる顔」だと言う。『北の国から』で我々にこびり付いたイメージを彼らに話すときも同じような反応だ。実際、人が住んでいる場所は「集落」ではなく街であった。

 

バイト先に道南出身の常連さんがいる。北海道へ行くのだと伝えたら、彼はこう言った。「俺がガキのときはそれこそ何もない土地だったけど、いつの間にか東京人が仕立て上げて……上京する時、連絡船に乗ったあとさ、俺もお前みたいに普通列車で青森からこっちまできたんだよ」

定年間近の彼の頭は禿げ上がっている。身だしなみも洗練されているとは言えない。しかし逞しい体躯であり、背もしゃんとしていて、見た目こそ痩せてはいるが、相当な体力が内にあることは確かであった。決まった日本酒を飲み、奥さんと仲睦まじく刺身を突く姿はカウンターの風景に溶け込んでいた。自分の子供が北海道の大学へ進学したのを複雑な顔をしながら話してくれたのを未だに覚えている。バイト仲間たちは彼のことを日本酒の銘柄の名前で呼び、彼もまた我々をあだ名で呼んだ。愛嬌のある顔が鮮やかな印象となって記憶されている。


効率を良くするために、青森と札幌の間は夜行列車を使うことにした。24時間を費やして札幌へ行くことは苦痛だと思えなかった。国内なら、あの悪名高いはかた号に乗っても平気だという自信があった。普通列車なら2時間も走れば終点に着くし、駅で硬くなった体を伸ばすこともできる。ご飯を食べたければキオスクとか、駅前にコンビニがある(あまりチェーン店は使いたくないのだけれども)。


買おうとする切符に合わせて日程を組み、駅へ出向いて切符と夜行列車の指定券を買った。やはり普通列車だけであると観光する時間が限られてしまうようで、仕方なく航空券も買ってしまった。本州と北海道を結ぶ夜行列車には、平成だというのに「急行」を掲げて走るものがある。「はまなす」がそれであって、私は客車にグリーン車用の座席を取り付けたドリームカーの席を買った。B寝台や、雑魚寝の船室のようなカーペットカー、座席のリクライニングが中途半端な自由席が他にあったが、ドリームカーはそれなりに眠れそうでそこそこ安いのであった。


北海道までのアクセスと道内の移動のために「北海道&東日本パス」が売られていた。7日間有効で、JR東日本JR北海道管内ならば普通列車に限って乗り放題というものだった。7日もあれば北海道も巡れそうであるが、巡るだけで、降りて散策などするということは到底できない。それに北海道は特急天国であって、普通列車というのは、首都圏の感覚ような別の都市へ遊びに行くという列車ではなく、通勤通学のための列車、或いは観光客がディーゼルカーを体験するために走っているような列車であった。


普通列車の中での過ごし方というのは、車窓を眺めているか、本を読んでいるか、眠っているかのどれかである。iPhoneをいじってもいいのだけれどもバッテリーを消費するし、モバイルバッテリーはかさ張るしであまり持ち歩きたくなかった。今回は『ファウスト』を持って行ったが、私には難しいのと北海道の車窓を少しでも眺めたいのとで第一部だけ読み、バックパックの底に沈めた。理解できるようになるのは何年後になるのだろうか。


残暑の漂う9月の旅行であったが、列車旅ではウィンドブレーカーやナイロンの服を持って行ったほうが良い。北海道の涼しさを考えればもちろんだが、本州の列車でも冷房が効きすぎていることがある。外で汗をかいた後に列車に乗り込むと、ただでさえ寒いのに、蒸発する汗が奪わなくてもいい熱を持って行ってしまう。旅行保険はあるけれども、医療費は補填できたとしても旅行先で風邪をひくというのはあまり良い思い出にはならないであろう。保険は思い出までは補填できない。また、夜行列車では乗客の転倒を防ぐために照明が完全には消えない。タオルやアイマスクがあると少しだけ眠りに入りやすくなる。列車は密室である。お互いに気を使い、使われる。乗車マナーは車掌がうるさく言っているが、譲るべきことは譲り、自分のすべきことは把握しておくべきだ。少しでも快適な旅行と思い出のために。

道東記 前記と計画

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」と書いたのは芭蕉翁であった。我々が計画を立てるという行為をする時、現在の時間軸を離れ、来るであろう過客をこちらから迎えにゆく。未来は机上にありさえすれば、全てが私の思い通りになるのである。

 

2014年5月に休学届を提出し、病身であることを除けば、私は擬制の自由を手に入れたも同然であった。病院へ通い、親に対する罪悪感からアルバイトを続け、しかし給料を使う場所もなかった。

 

未来が現在になり、それが過去になったとき、新たな現在からその過去を垣間見ると負い目を感じるということが我々には起こりうる。私には、常に過去からの負い目を浴びるという危険があり、ただ旅行だけが私を責めなかった。初めて一人旅をしたのは中学生の頃であった。センター試験が終わってすぐに2回目の一人旅に出ていた。修学旅行や林間学校は、私が避けるような人たちともストレスを感じずに触れ合うことができた。

 

これら旅行の記念はなぜか安物のナップザックに詰められていた。写真や切符が整理されぬまま放り込まれたようだった。私が私自身で持つ救いというのはこれだけであった。遠い国の老婆がイコンを抱くように、或いは子供が壊れた玩具をいつまでも手放さないように。

 

北の大地は広い。北海道までずっと普通列車を乗り継いで行こうと考えた。私がいったことのある土地の北限を上げようとした。雄大な大地に触れれば病気も治ってしまうと思った(後にこの考えが甘すぎたことがわかる)。

 

こうなると、もはや歯止めが利かない。時刻表を購入し、1日中眺め続けた。日が暮れても朝が来るまで、私は北海道を飛び回っていた。どの切符を使えば金を切り詰められるか、別の交通手段はないか、有効期限が切れるギリギリまでどこを回れるか。梅雨は来ていなかったが、私は時刻表に閉じ込められてしまった。

 

閉鎖的な数字が延々と並ぶ時刻表の中で一際目をひく列車があった。2429D、日本で一番長い時間を走っている列車であった。これに揺られ、釧路湿原を見ながら納沙布岬を見、帰りに札幌で少し都会的な雰囲気を味わえば、普通列車だけでも北海道をそれなりに自分に取り込めるのではないか。

 

我々が関知し得ない日常はそこかしこにあり、それらは予定され、実行され、または何も為されていないかもしれない。これらに北土の香がかき消されないうちに、7日の間、私の中で起こったことを確認するために、旅行記を書こうと思う。

『ベイマックス』

成人式のあとのパーティに出るための衣装を買うためにイオンへ行ったついでに、「政治的正しさ」(個人的に悪魔の証明だと思っている)云々で騒がれていた『ベイマックス』を観ることにした。

娯楽が一箇所に固まっているのはショッピングモールの利点だ。

券を買い、スナックの売店のナチョスに心を奪われかけるが、同じ値段でもっと豪華なナチョスがつくれると考え直してもぎりのバイトのところへ歩いていった。

あまりにも議論されているから、あまり子供向けでないストーリーなのかな、と心配していたが、家族連れも笑いながら観ていて安心した。

 

思うに、この映画はヒロが自律をもつまでの成長物語であった。ビッグ・ヒーロー・シックスは自分たちのもつ技術を使えば、私的な恨みで人を殺すことができた。実際にヒロは兄を犬死させたキャラハン教授を、ベイマックスを使って殺そうとした。ベイマックスはあくまでもロボットであるから、プログラムに沿って主人の命令に"務める"のである(「あなたの健康を守ります」というセリフはあるが、プログラムを変えてしまえばその言葉は無意味になる)。とはいえ、タダシの遺したビデオやビッグ・ヒーロー・シックスのメンバーがヒロを諌め、反社会的報復が根本的解決に繋がらないことを悟らせた。さらに、ヒロは、出来うる限り道徳に反さない解決策を考えだそうと努めるようになり、キャラハン教授の暴走を止めた。但し、彼は人命を救うかベイマックス(ロボット)と共に帰還するかを選択する場面で、自身の才能で再現できうるベイマックス(彼に収録された兄のビデオまでは難しかろうが)を選択しようとしたのには疑問が残った。キャラハン教授を殺さず、その人の命を重視したように見えたヒロはなぜベイマックスを選択しようとしたのか。



祖母宅

年明けに風邪をこじらせたため、私は祖母に新年の挨拶をすることができなかった。

なぜか両親や妹も挨拶に行かなかった。

我が家の評判がガタ落ちする前に祖母を訪ねた。

アポはもちろんとっていない(親戚は全員こんな感じで互いの家を訪ねる)。

祖父に線香をあげる目的もあったけれども、本当はお年玉が今年ももらえるかどうかが重要だった。

一人暮らしは金がかかるから1銭でも多くあったほうがいいに決まってる!と自分に言い聞かせて列車に乗った。

祖母宅の最寄駅に降り、祖母に電話をかけてから歩き始めた。

祖母は祖父との結婚以来、親戚の突然の訪問になれているためか、淡々と受け答えをしていた。

インターホンを鳴らすと寝間着に半纏を着た祖母が出てきた。

後ろへ流した白髪が横へ広がっていて、時代劇に出てきそうな老婆となっていた。

当然のごとくお茶を出し、菓子を私に食べさせる祖母は、矢継ぎ早に両親のことを訊いてきたり、一周忌の用意はどうするかを聞かせてきた。

寺が墓の管理をあまりしていないという愚痴を聞かされ終わったところで、正月に親戚たちが置いていったお年玉や成人祝いを渡してきた。

あとで確認したら、例年とほとんど変わらなかった。

将来、従兄弟やその子供に払う額が少なく済むと思えば不満も消えるだろう。

マシンガントークを相槌で防いだ後、日が暮れたから早めに帰りなさいと言われ、こちらからは何もアプローチできないまま帰路に着いた。

 

お年玉は古本に使います。たぶん。