M市と全然違う

我がK市は赤城颪と筑波颪が時間を変えてそれぞれやってくる。

ベッドタウン化した数少ない地区を除けば、あとは農地とその主の家がぽつねんと建っているばかりだから、風は何者にも邪魔をされず山を駆け下りてくる。

地元の中学生達は朝は赤城颪に向かって自転車をこぎ、夕方には小学生達が飛ばされた帽子を追いかけて通学路を逆行する。

夜は遠慮なく放射冷却をし、窓を湿らせる。

かの渋沢栄一赤城颪に吹かれて育った人物で、彼の我慢強さは風と寒さがつくったという。

 

バイト先からの帰り際、店長が「同じS県だとは思えないよ、こんなに風吹かないもん。M市と全然違う」という。

寒い、寒い、と言いながら彼がワゴン車に乗り込むのを、物心がついたころからK市に育った私は見世物を見るような目で追っていた。

 

都会との壁を感じた。

風ひとつに私は心一つ動かされないのである。

「田舎で子供を育てると感受性の豊かな子になる」とこちらへ引っ越してくる若い夫婦がいたり、リタイアした後に「自然豊かだから」という理由で越してくる老夫婦をちらほらと見かけたり、噂を聞いたりする。

しかし田舎で豊かになるのは見栄と暇だけである。

変化するものといえば近所のおばあさん達の噂と稲だけだ。刺激がない。

刺激がなければ感受性も育たない。

自然も豊かではない、田畑は人類が最初に行った自然破壊だ。

北海道を見よ、原生林を拓いた先人がいなければ当たり障りのない、絵に描いたような"自然"はなかったはずだ。

ひとえに、田舎へ好んでくる人間は無知であり、田舎に住まざるを得ない人間は金がない。

あるいはお化けか変人か。

 

K市を捨て、都会で感性を尖らせなければならない。