ТОКИО

シベリア鉄道に乗ってみないか、と言われた。春のことであった。シベリア鉄道、そうだ、私が小学校の百科事典で「世界で一番長い鉄道。端から端まで九二八八キロメートルで、一番早い列車でも七日間かかります」と記述されているのを眺めたことがある。当時の私は見ず知らずの北の大地に思いを馳せた。窓の外には一面の銀世界が広がり、私はベッドに横たわりながらそれを延々と見続けている。通路では肌の白い人たちが何やら話し合っている。停まる駅ごとに大荷物を抱えた人たちが乗り込んでくる。ロシアへの誘いがこれらの空想を私の中に蘇らせた。
それにロシアは広い。私は元来大きいものが好きなのであった。幼少の頃、初めて東京のビル群を見たときに、私はこの都市が発信するとてつもないエネルギーに私の故郷が、いや日本中の都市が束になってかかろうとも上回ることはできないのであろうと小さな頭でぼんやりと考えていた。最近では釧路湿原をうろつきまわり、エゾシカやタンチョウヅルを眺めながら、このばかでかい自然にどの山野も勝てやしないであろうと、やはりぼんやり思ったのであった。私が愛読しているある本の作者もこのばかでかい好きの一人で、ミシシッピ川や摩天楼、テキサスの原野を見たらしいのだが、不幸にも彼は一日最低でも当時のレートで十ドルの予算を組まなければビザを与えられないという理由でソ連や東欧諸国への入国を断念した。彼の財布はばかでかくなかったのである。
では俺が代わりに見てやろう、時代は違えどもシベリアの草原やウラル山脈赤の広場を見てやろう。しかし財布がばかでかくないのは彼と一緒であった。
「向こうじゃ煙草が一二〇円で買えるぜ」
誘いをかけてきたSは、西東京にある私のボロアパートで寝そべりながらこう言った。
「本当か?」
「一ルーブルが三円のときの話だから、今はもっと安くなってるんじゃないか」
私はロシアへ行くことを決心した。私の頭は実に単純なつくりになっているのである。ドストエフスキーの作品に感化されてS広場で地面にキスするとか、ネフスキー大通りでゴーゴリの作品に同化しようと懐古の情に浸るなどとは思わなかったのであった。現に私はセンナヤ広場を歩きネフスキー大通りを歩いた。しかし、それは地下鉄に乗るためであったり、安食堂へメシを食いに行くために歩いたのであった。ドストエフスキーよりも煙草とメシが私にはお似合いなのであった。