夜間人口

年末年始は、昼間に我が市の夜間人口がどのくらいなのか、埼玉都民がどれくらいいるのか目に見えてわかる。

昼になってからスーパーマーケットへ行くと、平日はお年寄りしかいないはずなのに親子連れがお年寄りも多くいる。

銀行へ行っても、郵便局へ行っても、ホームセンターへ行っても、やはり皆若い(中年だけれども)。

居酒屋でアルバイトをしていても、年寄った常連の姿はなく、見たこともない人たちが席に座っている。

アルバイト先の店はあまり既製品を使わない主義であるから、注文を受けて始めて材料から作り始めるものがある。

予め仕込んだものを冷凍しておき、解凍してから調理し始めるものでも、芯まで火が通るには時間がかかる。

しかも満席となり注文のタイミングが被るのがこの時期のお約束であり、1人で20の商品をつくらなければならない。

店長も社員も同じような状況だし、手伝ってくれる人はいない(私はこのおかげで料理に関しては不器用を克服できた)。

 けれども都民たちは都会の居酒屋になれているのか、時間のかかるメニューと注意書きがあるものでも10分も経つと「まだですか」と訊いてくる(年末はこのあたりで完成まで2分くらい残している)。

無慈悲に急かしてくるお客はあまり気持ちのいいものではない。

 

都民の常連で「仕事場で固まっててもあまり人脈が広がらないから、早めに帰って近所の居酒屋で呑むんです」と語っていたサラリーマンがいるけれども、都民が彼みたいな人であれば多少の遅れは承知してくれるし、シャッター街になった線路の向こうの商店街もある程度賑わうのではないか。

プライベートと仕事場での信頼関係は、私が思うに前者は腹を割って話せるかどうかが重要であって、後者は双方向の連絡の緊密さだと思っている。

果たして飲みニケーションは連絡の緊密さを向上させるか。

あまりにプライベートの悪い部分をさらけ出してしまうと、仕事上はと割り切っていた緊密さも、悪い部分によって瓦解してしまうのではないか。

 

マイルドヤンキーが地元志向だというけれども、その裏は都民が会社での不必要なプライバシー交換大会で、地元の友人たちと遊べないという理由がありうる。

ここらへんのことが書いてある本はないかしら。

探してみよう。

 

埴生の宿

25日に2件の不動産屋を訪ねた。

前もってインターネットで調べたつもりが、最初に訪ねたところで、ああいうところに掲載されるのは何かしら問題を抱えてる物件ですよ、と言われ色々な物件を提示された。

マスクをかけ、顔を真っ赤にして、如何にも風邪をひいているようだったが、なぜかハイテンションで問題のある物件を弾いていって、最終的に5つの物件を勧めてきた。

1Kと伝えたのにワンルームが2つ混じっていたけれども、物件について質問すると1つ1つ丁寧に答えてくださった。

 年末年始は飛ぶように部屋がなくなってしまうようだ。

実際、店舗には隣にブルーカラー風のおじさん、その隣には高校生とその母親の組がいた。

電話もひっきりなしに鳴っていたことから、Iさんの言うことは嘘ではないだろう。

我が家の共通点である呑気さのおかげでこの担当の方(Iさん)の紹介なさった物件を抑えることができないかもしれない。

年始まで残っていることを願うしかなかろう。

 

2件目の不動産屋はひどかった。

私以外お客もいないし、1週間前に条件をメールで送って、了解した旨を返信してきたはずなのに、私が着いてから物件を探し始めたのだ。

家賃や間取りがいい物件が見つかったが、あまり信頼がおけない。

ひょっとしたら大家と仲が良くないのかもしれないし、前の住人がトラブルを起こして退去したかどうかという情報ももらえなかった。

試しに「初期費用はいくらくらいですか」と質問してみたら、電卓もキーボード叩かないで「20万前後」と答えられた。

全部資料に書かれていたのだからちゃんとやってくれてもよかった。

この店は使わないことにした。

 

 

弱小ベッドタウンのタクシー事情

工業団地は言われた、「自家用車あれ。」

こうして、自家用車があった。

 

駅を中心として造成された住宅街には埼玉都民が住み、田畑を遠く乗り越えた国道や県道沿いにある家々には、全国津々浦々から集った、古くからの住民には少し距離を置いて見られる工業団地通いの労働者とその家族が住んでいる。

工業団地へ通うには自動車かオートバイが必要になる。

働き続けるには自家用車を持つしかない。

皆自家用車を持たなければならないから、スーパーマーケットも車がないと行くのが億劫になる位置に建てられる。

駅の近くにスーパーはないし、休日に東京まで出ようとすると1時間はかかる。運賃も馬鹿にならない。

食料を買うために都民も自家用車を用意する。

駅の周りは地主が強いせいで駐車場ばかりになり、駅前はハリボテの都会にすらならない。

ハリボテの都会すらないのだから、居酒屋は国道、県道沿いに店を開く。

仕事が終わって、駅から工業団地から自宅へ、そしてどちらも自動車を駆って酒を飲みに来る。

運転代行は当然儲かるし、ここ5年で私のバイト先の居酒屋がある地域をカバーする運転代行は1社から4社に増えた。

 

しかしタクシーはどうか。

運転代行ばかりに客を奪われ、運ぶ客といえば駅から工業団地へ出張してくるホワイトカラーと隣の市にある場外発売場で競艇に勝った爺さんだ。

当然夜に待機するタクシーの台数は減るわけで、正月盆暮れに都心から里へ顔を出す人は居酒屋から駅へ向かおうとすると、タクシー会社の殿様商売に悩まされることになる。

 

「うちは20時までだ。」

居酒屋に対して前もってこんなことを通知してくる会社もあった。

普段、夜間の利用がほとんどないのだからタクシー会社を責めるわけにもいかない。

せめて駅前にハリボテの都会さえあれば、夜間の利用は少し増えるだろう。

…バイト先は潰れるだろうが。

 

 

 

 

青春供養

大掃除を始める前に、本棚やベッドの下に隠れていた青春の欠片を追い出してしまうことにした。

私のベッドの下にはエロ本の代わりに高校の教科書が山と積まれていた。

ブックオフに持っていったら買取を拒まれてトイレットペーパーになってしまうだろうし、私の青春の価値がもしそうだったとしても受け入れるしかない。

しかし言葉通り他人の尻ふきで終わってしまうのも癪であるから、ヤフオクで売りさばいてしまうことにした。

10冊くらい出品して、開始価格は全て10円にした。

 

落札者が出たら、教科書に何か手紙でも挟もうかしら。

 

じゃあやめちまえよ

あまり父の悪口は書きたくないのだけれども、頭にきたので記録しておく。

 

「夢とか目標があったらキチガイになんかならないんだよ、ちょっとは(宗教の)活動をやって色んな人を見たら?学会には変な人も嫌な人もいるんだよ」

「そりゃいろんな人がいるけど、どんな組織だってそうでしょ、海自だってそんなんだったんでしょ」

「1つの隊1隻の艦よりも学会のほうが広い」

「広いんならその変な人嫌な人も幸福にしてやったらいいじゃん」

「お前何を学んできたんだ?仏であることが必ずしも幸福であることは…」

「ノーだけど、そんなこと言ったらキリスト教幸福の科学も大して変わんねえよ」

「じゃあやめちまえよ」

「今やめたら迷惑かかんだろ」

「知らねえよ、好きにしろ」

湯加減

典型的昭和のお父さんたちは一番風呂に入っていたようだが、我が家の父はなぜか一番最後、就寝直前に入りたがる。

一日に染みた煙草の臭いを落とすのだそうだが、いくら体を洗っても服に臭いが移っているから周りからしてみればまったく意味がない。

湯加減にも厳しい。

父はだいたい日付がかわるころに眠る。

私や他の家族が20時くらいに入りきってしまうと、23時半までお湯を温かくしておくために追い焚きをしなくてはならない。

気温によって追い焚きの時間を変えなくてはいけない、この加減が難しいのだ。

ぬるいと小言を言われるから皆必死でボタンをポチポチ押している。

 

湯加減はまだいい、父が早く眠ろうとする日がひどいのだ。

22時半くらいに眠ってしまう時は、全員が22時までに入らないといけない。

しかし、用事をひと段落つくまで済ましてしまうと22時をオーバーしてしまう時がある。

足を忍ばせて1階へ降りると、父はやはり小言を言ってくる。

機嫌の悪いときは夜にも関わらず大声で「遅ぇんだよ、早く入れよ!」と急かしてくる(近所迷惑だと隣人たちに暗に言われるからやめてほしい)。

こういうときはヒゲも剃らず、風呂にも浸からずシャワーで済ましてしまう。

触らぬ神に祟りなし、である。

 

いや…本当は神になぞらえたくないのだが…