祖母宅
年明けに風邪をこじらせたため、私は祖母に新年の挨拶をすることができなかった。
なぜか両親や妹も挨拶に行かなかった。
我が家の評判がガタ落ちする前に祖母を訪ねた。
アポはもちろんとっていない(親戚は全員こんな感じで互いの家を訪ねる)。
祖父に線香をあげる目的もあったけれども、本当はお年玉が今年ももらえるかどうかが重要だった。
一人暮らしは金がかかるから1銭でも多くあったほうがいいに決まってる!と自分に言い聞かせて列車に乗った。
祖母宅の最寄駅に降り、祖母に電話をかけてから歩き始めた。
祖母は祖父との結婚以来、親戚の突然の訪問になれているためか、淡々と受け答えをしていた。
インターホンを鳴らすと寝間着に半纏を着た祖母が出てきた。
後ろへ流した白髪が横へ広がっていて、時代劇に出てきそうな老婆となっていた。
当然のごとくお茶を出し、菓子を私に食べさせる祖母は、矢継ぎ早に両親のことを訊いてきたり、一周忌の用意はどうするかを聞かせてきた。
寺が墓の管理をあまりしていないという愚痴を聞かされ終わったところで、正月に親戚たちが置いていったお年玉や成人祝いを渡してきた。
あとで確認したら、例年とほとんど変わらなかった。
将来、従兄弟やその子供に払う額が少なく済むと思えば不満も消えるだろう。
マシンガントークを相槌で防いだ後、日が暮れたから早めに帰りなさいと言われ、こちらからは何もアプローチできないまま帰路に着いた。
お年玉は古本に使います。たぶん。
『八甲田山』
この映画を初めて見たのは休学前のことだった。
夜間人口
年末年始は、昼間に我が市の夜間人口がどのくらいなのか、埼玉都民がどれくらいいるのか目に見えてわかる。
昼になってからスーパーマーケットへ行くと、平日はお年寄りしかいないはずなのに親子連れがお年寄りも多くいる。
銀行へ行っても、郵便局へ行っても、ホームセンターへ行っても、やはり皆若い(中年だけれども)。
居酒屋でアルバイトをしていても、年寄った常連の姿はなく、見たこともない人たちが席に座っている。
アルバイト先の店はあまり既製品を使わない主義であるから、注文を受けて始めて材料から作り始めるものがある。
予め仕込んだものを冷凍しておき、解凍してから調理し始めるものでも、芯まで火が通るには時間がかかる。
しかも満席となり注文のタイミングが被るのがこの時期のお約束であり、1人で20の商品をつくらなければならない。
店長も社員も同じような状況だし、手伝ってくれる人はいない(私はこのおかげで料理に関しては不器用を克服できた)。
けれども都民たちは都会の居酒屋になれているのか、時間のかかるメニューと注意書きがあるものでも10分も経つと「まだですか」と訊いてくる(年末はこのあたりで完成まで2分くらい残している)。
無慈悲に急かしてくるお客はあまり気持ちのいいものではない。
都民の常連で「仕事場で固まっててもあまり人脈が広がらないから、早めに帰って近所の居酒屋で呑むんです」と語っていたサラリーマンがいるけれども、都民が彼みたいな人であれば多少の遅れは承知してくれるし、シャッター街になった線路の向こうの商店街もある程度賑わうのではないか。
プライベートと仕事場での信頼関係は、私が思うに前者は腹を割って話せるかどうかが重要であって、後者は双方向の連絡の緊密さだと思っている。
果たして飲みニケーションは連絡の緊密さを向上させるか。
あまりにプライベートの悪い部分をさらけ出してしまうと、仕事上はと割り切っていた緊密さも、悪い部分によって瓦解してしまうのではないか。
マイルドヤンキーが地元志向だというけれども、その裏は都民が会社での不必要なプライバシー交換大会で、地元の友人たちと遊べないという理由がありうる。
ここらへんのことが書いてある本はないかしら。
探してみよう。
宗教活動
やろうとすると信仰心失うから活動しないほうがいいと思う
埴生の宿
25日に2件の不動産屋を訪ねた。
前もってインターネットで調べたつもりが、最初に訪ねたところで、ああいうところに掲載されるのは何かしら問題を抱えてる物件ですよ、と言われ色々な物件を提示された。
マスクをかけ、顔を真っ赤にして、如何にも風邪をひいているようだったが、なぜかハイテンションで問題のある物件を弾いていって、最終的に5つの物件を勧めてきた。
1Kと伝えたのにワンルームが2つ混じっていたけれども、物件について質問すると1つ1つ丁寧に答えてくださった。
年末年始は飛ぶように部屋がなくなってしまうようだ。
実際、店舗には隣にブルーカラー風のおじさん、その隣には高校生とその母親の組がいた。
電話もひっきりなしに鳴っていたことから、Iさんの言うことは嘘ではないだろう。
我が家の共通点である呑気さのおかげでこの担当の方(Iさん)の紹介なさった物件を抑えることができないかもしれない。
年始まで残っていることを願うしかなかろう。
2件目の不動産屋はひどかった。
私以外お客もいないし、1週間前に条件をメールで送って、了解した旨を返信してきたはずなのに、私が着いてから物件を探し始めたのだ。
家賃や間取りがいい物件が見つかったが、あまり信頼がおけない。
ひょっとしたら大家と仲が良くないのかもしれないし、前の住人がトラブルを起こして退去したかどうかという情報ももらえなかった。
試しに「初期費用はいくらくらいですか」と質問してみたら、電卓もキーボード叩かないで「20万前後」と答えられた。
全部資料に書かれていたのだからちゃんとやってくれてもよかった。
この店は使わないことにした。
弱小ベッドタウンのタクシー事情
工業団地は言われた、「自家用車あれ。」
こうして、自家用車があった。
駅を中心として造成された住宅街には埼玉都民が住み、田畑を遠く乗り越えた国道や県道沿いにある家々には、全国津々浦々から集った、古くからの住民には少し距離を置いて見られる工業団地通いの労働者とその家族が住んでいる。
工業団地へ通うには自動車かオートバイが必要になる。
働き続けるには自家用車を持つしかない。
皆自家用車を持たなければならないから、スーパーマーケットも車がないと行くのが億劫になる位置に建てられる。
駅の近くにスーパーはないし、休日に東京まで出ようとすると1時間はかかる。運賃も馬鹿にならない。
食料を買うために都民も自家用車を用意する。
駅の周りは地主が強いせいで駐車場ばかりになり、駅前はハリボテの都会にすらならない。
ハリボテの都会すらないのだから、居酒屋は国道、県道沿いに店を開く。
仕事が終わって、駅から工業団地から自宅へ、そしてどちらも自動車を駆って酒を飲みに来る。
運転代行は当然儲かるし、ここ5年で私のバイト先の居酒屋がある地域をカバーする運転代行は1社から4社に増えた。
しかしタクシーはどうか。
運転代行ばかりに客を奪われ、運ぶ客といえば駅から工業団地へ出張してくるホワイトカラーと隣の市にある場外発売場で競艇に勝った爺さんだ。
当然夜に待機するタクシーの台数は減るわけで、正月盆暮れに都心から里へ顔を出す人は居酒屋から駅へ向かおうとすると、タクシー会社の殿様商売に悩まされることになる。
「うちは20時までだ。」
居酒屋に対して前もってこんなことを通知してくる会社もあった。
普段、夜間の利用がほとんどないのだからタクシー会社を責めるわけにもいかない。
せめて駅前にハリボテの都会さえあれば、夜間の利用は少し増えるだろう。
…バイト先は潰れるだろうが。