道東記 大要

「北海道」というと、広大な大地、牧場、豊富な乳製品や菓子類が頭に浮かぶ。そして道産子たちは苦笑いしながら「東京に見せる顔」だと言う。『北の国から』で我々にこびり付いたイメージを彼らに話すときも同じような反応だ。実際、人が住んでいる場所は「集落」ではなく街であった。

 

バイト先に道南出身の常連さんがいる。北海道へ行くのだと伝えたら、彼はこう言った。「俺がガキのときはそれこそ何もない土地だったけど、いつの間にか東京人が仕立て上げて……上京する時、連絡船に乗ったあとさ、俺もお前みたいに普通列車で青森からこっちまできたんだよ」

定年間近の彼の頭は禿げ上がっている。身だしなみも洗練されているとは言えない。しかし逞しい体躯であり、背もしゃんとしていて、見た目こそ痩せてはいるが、相当な体力が内にあることは確かであった。決まった日本酒を飲み、奥さんと仲睦まじく刺身を突く姿はカウンターの風景に溶け込んでいた。自分の子供が北海道の大学へ進学したのを複雑な顔をしながら話してくれたのを未だに覚えている。バイト仲間たちは彼のことを日本酒の銘柄の名前で呼び、彼もまた我々をあだ名で呼んだ。愛嬌のある顔が鮮やかな印象となって記憶されている。


効率を良くするために、青森と札幌の間は夜行列車を使うことにした。24時間を費やして札幌へ行くことは苦痛だと思えなかった。国内なら、あの悪名高いはかた号に乗っても平気だという自信があった。普通列車なら2時間も走れば終点に着くし、駅で硬くなった体を伸ばすこともできる。ご飯を食べたければキオスクとか、駅前にコンビニがある(あまりチェーン店は使いたくないのだけれども)。


買おうとする切符に合わせて日程を組み、駅へ出向いて切符と夜行列車の指定券を買った。やはり普通列車だけであると観光する時間が限られてしまうようで、仕方なく航空券も買ってしまった。本州と北海道を結ぶ夜行列車には、平成だというのに「急行」を掲げて走るものがある。「はまなす」がそれであって、私は客車にグリーン車用の座席を取り付けたドリームカーの席を買った。B寝台や、雑魚寝の船室のようなカーペットカー、座席のリクライニングが中途半端な自由席が他にあったが、ドリームカーはそれなりに眠れそうでそこそこ安いのであった。


北海道までのアクセスと道内の移動のために「北海道&東日本パス」が売られていた。7日間有効で、JR東日本JR北海道管内ならば普通列車に限って乗り放題というものだった。7日もあれば北海道も巡れそうであるが、巡るだけで、降りて散策などするということは到底できない。それに北海道は特急天国であって、普通列車というのは、首都圏の感覚ような別の都市へ遊びに行くという列車ではなく、通勤通学のための列車、或いは観光客がディーゼルカーを体験するために走っているような列車であった。


普通列車の中での過ごし方というのは、車窓を眺めているか、本を読んでいるか、眠っているかのどれかである。iPhoneをいじってもいいのだけれどもバッテリーを消費するし、モバイルバッテリーはかさ張るしであまり持ち歩きたくなかった。今回は『ファウスト』を持って行ったが、私には難しいのと北海道の車窓を少しでも眺めたいのとで第一部だけ読み、バックパックの底に沈めた。理解できるようになるのは何年後になるのだろうか。


残暑の漂う9月の旅行であったが、列車旅ではウィンドブレーカーやナイロンの服を持って行ったほうが良い。北海道の涼しさを考えればもちろんだが、本州の列車でも冷房が効きすぎていることがある。外で汗をかいた後に列車に乗り込むと、ただでさえ寒いのに、蒸発する汗が奪わなくてもいい熱を持って行ってしまう。旅行保険はあるけれども、医療費は補填できたとしても旅行先で風邪をひくというのはあまり良い思い出にはならないであろう。保険は思い出までは補填できない。また、夜行列車では乗客の転倒を防ぐために照明が完全には消えない。タオルやアイマスクがあると少しだけ眠りに入りやすくなる。列車は密室である。お互いに気を使い、使われる。乗車マナーは車掌がうるさく言っているが、譲るべきことは譲り、自分のすべきことは把握しておくべきだ。少しでも快適な旅行と思い出のために。

道東記 前記と計画

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」と書いたのは芭蕉翁であった。我々が計画を立てるという行為をする時、現在の時間軸を離れ、来るであろう過客をこちらから迎えにゆく。未来は机上にありさえすれば、全てが私の思い通りになるのである。

 

2014年5月に休学届を提出し、病身であることを除けば、私は擬制の自由を手に入れたも同然であった。病院へ通い、親に対する罪悪感からアルバイトを続け、しかし給料を使う場所もなかった。

 

未来が現在になり、それが過去になったとき、新たな現在からその過去を垣間見ると負い目を感じるということが我々には起こりうる。私には、常に過去からの負い目を浴びるという危険があり、ただ旅行だけが私を責めなかった。初めて一人旅をしたのは中学生の頃であった。センター試験が終わってすぐに2回目の一人旅に出ていた。修学旅行や林間学校は、私が避けるような人たちともストレスを感じずに触れ合うことができた。

 

これら旅行の記念はなぜか安物のナップザックに詰められていた。写真や切符が整理されぬまま放り込まれたようだった。私が私自身で持つ救いというのはこれだけであった。遠い国の老婆がイコンを抱くように、或いは子供が壊れた玩具をいつまでも手放さないように。

 

北の大地は広い。北海道までずっと普通列車を乗り継いで行こうと考えた。私がいったことのある土地の北限を上げようとした。雄大な大地に触れれば病気も治ってしまうと思った(後にこの考えが甘すぎたことがわかる)。

 

こうなると、もはや歯止めが利かない。時刻表を購入し、1日中眺め続けた。日が暮れても朝が来るまで、私は北海道を飛び回っていた。どの切符を使えば金を切り詰められるか、別の交通手段はないか、有効期限が切れるギリギリまでどこを回れるか。梅雨は来ていなかったが、私は時刻表に閉じ込められてしまった。

 

閉鎖的な数字が延々と並ぶ時刻表の中で一際目をひく列車があった。2429D、日本で一番長い時間を走っている列車であった。これに揺られ、釧路湿原を見ながら納沙布岬を見、帰りに札幌で少し都会的な雰囲気を味わえば、普通列車だけでも北海道をそれなりに自分に取り込めるのではないか。

 

我々が関知し得ない日常はそこかしこにあり、それらは予定され、実行され、または何も為されていないかもしれない。これらに北土の香がかき消されないうちに、7日の間、私の中で起こったことを確認するために、旅行記を書こうと思う。

『ベイマックス』

成人式のあとのパーティに出るための衣装を買うためにイオンへ行ったついでに、「政治的正しさ」(個人的に悪魔の証明だと思っている)云々で騒がれていた『ベイマックス』を観ることにした。

娯楽が一箇所に固まっているのはショッピングモールの利点だ。

券を買い、スナックの売店のナチョスに心を奪われかけるが、同じ値段でもっと豪華なナチョスがつくれると考え直してもぎりのバイトのところへ歩いていった。

あまりにも議論されているから、あまり子供向けでないストーリーなのかな、と心配していたが、家族連れも笑いながら観ていて安心した。

 

思うに、この映画はヒロが自律をもつまでの成長物語であった。ビッグ・ヒーロー・シックスは自分たちのもつ技術を使えば、私的な恨みで人を殺すことができた。実際にヒロは兄を犬死させたキャラハン教授を、ベイマックスを使って殺そうとした。ベイマックスはあくまでもロボットであるから、プログラムに沿って主人の命令に"務める"のである(「あなたの健康を守ります」というセリフはあるが、プログラムを変えてしまえばその言葉は無意味になる)。とはいえ、タダシの遺したビデオやビッグ・ヒーロー・シックスのメンバーがヒロを諌め、反社会的報復が根本的解決に繋がらないことを悟らせた。さらに、ヒロは、出来うる限り道徳に反さない解決策を考えだそうと努めるようになり、キャラハン教授の暴走を止めた。但し、彼は人命を救うかベイマックス(ロボット)と共に帰還するかを選択する場面で、自身の才能で再現できうるベイマックス(彼に収録された兄のビデオまでは難しかろうが)を選択しようとしたのには疑問が残った。キャラハン教授を殺さず、その人の命を重視したように見えたヒロはなぜベイマックスを選択しようとしたのか。



祖母宅

年明けに風邪をこじらせたため、私は祖母に新年の挨拶をすることができなかった。

なぜか両親や妹も挨拶に行かなかった。

我が家の評判がガタ落ちする前に祖母を訪ねた。

アポはもちろんとっていない(親戚は全員こんな感じで互いの家を訪ねる)。

祖父に線香をあげる目的もあったけれども、本当はお年玉が今年ももらえるかどうかが重要だった。

一人暮らしは金がかかるから1銭でも多くあったほうがいいに決まってる!と自分に言い聞かせて列車に乗った。

祖母宅の最寄駅に降り、祖母に電話をかけてから歩き始めた。

祖母は祖父との結婚以来、親戚の突然の訪問になれているためか、淡々と受け答えをしていた。

インターホンを鳴らすと寝間着に半纏を着た祖母が出てきた。

後ろへ流した白髪が横へ広がっていて、時代劇に出てきそうな老婆となっていた。

当然のごとくお茶を出し、菓子を私に食べさせる祖母は、矢継ぎ早に両親のことを訊いてきたり、一周忌の用意はどうするかを聞かせてきた。

寺が墓の管理をあまりしていないという愚痴を聞かされ終わったところで、正月に親戚たちが置いていったお年玉や成人祝いを渡してきた。

あとで確認したら、例年とほとんど変わらなかった。

将来、従兄弟やその子供に払う額が少なく済むと思えば不満も消えるだろう。

マシンガントークを相槌で防いだ後、日が暮れたから早めに帰りなさいと言われ、こちらからは何もアプローチできないまま帰路に着いた。

 

お年玉は古本に使います。たぶん。

ウィンブレ

新しいウィンドブレーカーを買った。

今使っているものは中学校で野球部へ入ったのと同時に買ったものだ。

破れた場所を縫いに縫い、だましだまし着てきたがとうとう風を通すようになってしまった。

もはや意味がないから、福袋でも売れなかったおこぼれを安く買おうとスポーツ用品店に足を運んだ。

1万円の福袋を買って、そこからウィンドブレーカーだけを使うことにしてもいいのだけれども、余計なものを処理するのに困るから、おこぼれだけにした。

ナイキの軽いウィンブレが上下セットで8千円で買えたから良しとする。

 

『八甲田山』

この映画を初めて見たのは休学前のことだった。

170分と長い映画だから、講義の合間を縫って見ていた。
本を読むときもそうなのだけれども、間に長い時間を挟んで見るのと一気に見てしまうのとでは、受ける印象が随分と違う。
見る場所も同じように、落ち着いた場所でないと考えなしに読んでしまう。
今回は緊張感漂う図書館の狭いブースではなくて、自室のパソコンに向かって鑑賞したから、真剣に観ることができた。
 
この映画は、実際に冬の八甲田山系や岩木山で撮影されている。
氷点下での撮影や演技は過酷だったろう。
とはいえ、その過酷さがCGや特撮を超えた臨場感を生み出しているのは確かだ。
凍てついた外套、紫色の肌、ホラー映画では作れない現実にある恐怖(例えば、真夜中の防災無線)をよくフィルムに収めたと思う。
その最たるシーンは、兵卒が捕まった木の枝に血を残しながら滑落してゆくところだった。
誰も落ちる兵卒に関心をもたないのだ。
士官はまだしも、自ら望んで軍隊に入ったわけではない兵卒たちはどのような思いで死んだのか。
 
また、多数の犠牲者を出した神田大尉(史実では神成大尉)率いる青森第5連隊と、見事踏破した徳島大尉(同じく福島大尉)率いる弘前第31連隊とが対比されて描かれている。
神田大尉は小隊編成を考えていたが、トレッキングの様相を呈した日帰りの予行演習の結果により、大隊長から中隊編成とすることを命ぜられ、しかも大隊本部と自分の指揮下以外の隊からの兵を率いることとなってしまった。
一方徳島大尉は、連隊長同士の約束(青森隊と弘前隊を八甲田ですれ違わせる)により青森隊よりも大きく迂回して八甲田に突入することとなり、そのため小隊編成、精鋭主義でゆくこととなった。
当然弘前隊に比して格好がつかないことを咎められるのだけれども、行程を示して理由を説明すると、渋々ではあるが承諾された。
 
よく神田大尉の青森隊が「日本的な硬直した組織」と評されるけれども、軍隊はどこの国でも硬直していなければ指揮系統がバラバラとなってしまうから、上官に対してあれこれと言う者は、迅速な行動の妨げになってしまう。
また神田大尉の初めての雪中行軍がトレッキングとなってしまえば、それを見た上官も雪中行軍恐るるに足らずという認識を持ってしまうのも致し方がない。
仮に神田大尉が小隊編成を頑なに主張していたとしても、大隊は聞く耳を持たなかっただろうし、小隊で出発したとしても遠足気分の兵は良くて凍傷を負っていただろう。
徳島大尉は過去、岩木山にて雪中行軍を成し遂げた実績があり、八甲田に対しても用意周到に準備を行っていたし、なぜ小隊編成なのかを上官に説明し、それに納得した。
上官の命令に疑問を呈しながらも認めてしまった神田大尉と、連隊長同士の約束を考慮しつつも、その中で一番リスクの少ない方法をとり、上官もそれに応じたという対比が「日本的組織は柔軟さが欠けていて良くない」という安直な言葉で語られるのは、青森隊の悲惨さを見て出てくる結果論だ。
経験に基づく判断、つまり徳島大尉の成功の再生産が「日本的」でないという理由がどこにあろうか。
ただ自分のいる組織を、『八甲田山』を通して叩いて、それで満足するだけならそれでいいかもしれない。
けれども「日本的組織」にいる自らの経験と通して青森第5連隊を叩く行為はあまりにも下劣だ。
同様に弘前第31連隊を叩いてもらわねばいけない。
 
 

夜間人口

年末年始は、昼間に我が市の夜間人口がどのくらいなのか、埼玉都民がどれくらいいるのか目に見えてわかる。

昼になってからスーパーマーケットへ行くと、平日はお年寄りしかいないはずなのに親子連れがお年寄りも多くいる。

銀行へ行っても、郵便局へ行っても、ホームセンターへ行っても、やはり皆若い(中年だけれども)。

居酒屋でアルバイトをしていても、年寄った常連の姿はなく、見たこともない人たちが席に座っている。

アルバイト先の店はあまり既製品を使わない主義であるから、注文を受けて始めて材料から作り始めるものがある。

予め仕込んだものを冷凍しておき、解凍してから調理し始めるものでも、芯まで火が通るには時間がかかる。

しかも満席となり注文のタイミングが被るのがこの時期のお約束であり、1人で20の商品をつくらなければならない。

店長も社員も同じような状況だし、手伝ってくれる人はいない(私はこのおかげで料理に関しては不器用を克服できた)。

 けれども都民たちは都会の居酒屋になれているのか、時間のかかるメニューと注意書きがあるものでも10分も経つと「まだですか」と訊いてくる(年末はこのあたりで完成まで2分くらい残している)。

無慈悲に急かしてくるお客はあまり気持ちのいいものではない。

 

都民の常連で「仕事場で固まっててもあまり人脈が広がらないから、早めに帰って近所の居酒屋で呑むんです」と語っていたサラリーマンがいるけれども、都民が彼みたいな人であれば多少の遅れは承知してくれるし、シャッター街になった線路の向こうの商店街もある程度賑わうのではないか。

プライベートと仕事場での信頼関係は、私が思うに前者は腹を割って話せるかどうかが重要であって、後者は双方向の連絡の緊密さだと思っている。

果たして飲みニケーションは連絡の緊密さを向上させるか。

あまりにプライベートの悪い部分をさらけ出してしまうと、仕事上はと割り切っていた緊密さも、悪い部分によって瓦解してしまうのではないか。

 

マイルドヤンキーが地元志向だというけれども、その裏は都民が会社での不必要なプライバシー交換大会で、地元の友人たちと遊べないという理由がありうる。

ここらへんのことが書いてある本はないかしら。

探してみよう。