注文取消

とんでもないことをしてしまった。

私は私のミスを隠した。

しかもその責任を他人に押し付けて黙ってタイムカードに打刻してきたのだ。

 

私は居酒屋でアルバイトをしている。

田舎には珍しい都会型の居酒屋だ。

もとはコンビニエンスストアの店舗だったため、店内は狭いが店長の料理や社員の焼く焼き鳥は好評で、客足は伸びている。

去年の11月に採用されて最初は厨房だけを任されていたのだが、年が明けてからホールも任されるようになった。

強制的に表情筋を使い、ついに「人前では常にニヤけていられる」技を習得した。

 

今日の話だ、私はドリンカーをやっていた。

「島ハイボール」という伝票が来た。島ハイボールとは泡盛でつくるハイボールのことである。

しかし私は「ハイボール」という字を見て早合点し、「角ハイボール」を作って出した。

ホールの人はそれを客のもとへ運ぶのだが、当然「違うものだけどもらっておきます、って言われました」と店長へ報告する。

店長は私に「○卓さんの注文、取り消しといて」と言い、私は何を取り消せばいいかを確認するために屑入れの伝票を見た。

「島ハイボール」と書いてある。

嫌な汗が背中を伝ったが、私はハンディを使って「島ハイボール」の注文を取り消した。

店長は冗談めかして「気をつけてよね」とホールに言っていたが、ホールの心うちは穏やかでなかったろう。

正しく注文を受けたのに間違っていると言われたのだ。

 

すぐ謝ろうかと思った。

同時に、どうせ1月には辞めるんだし別にいいやという考えも出た。

結局後者を選んだ。

 

すると今度はこちらが心中穏やかでない。

焼酎に冷や汗が入りそうだった。

1年かけて築いた信頼をたった1つのミスで自分からぶち壊そうとしている。

 

早くこのミスを忘れてしまいたい。

家族観

ごく最近まで我が家と比較できる家族は物語の中にしかいなかった。

塀には堂々とK党のポスターは貼ってあるし、毎週夜な夜な人が集まってきて御経をあげているのだから、地域に参加しようとしてもあちらに心を開いてもらうということはなかなか難しい。

もともと保守的な地域だし、道路一本を隔てた地区は社会主義政党が幅を利かせている場所だ。

子供会に参加したくとも疎まれ、寄ってくるのは熱心な同志たちと「邪宗」の伝道師たちだけだった。

学校でも何となくうまくいかないし、友達の家庭事情など聞き出せるはずもない。

知っていたとしても同志の家族であり、集会で体験発表をするときに聞くだけだから、当然粉飾されている。

幼年から体験発表は聞いているが、どんなに家族を粉飾していようとも他の同志とぶつかっているところを見ると100%信じることはできなかった。

現実に見、知っている人間の家族についての情報は無いに等しかった。

 

故に私が比較できたのはリアリティのある物語上の家族だけだったのは冒頭の通りである。


絵本は幼稚園児であった私にもっともらしくうつった。

宗教活動で忙しかった親よりも温もりのあるタッチで描かれた絵と登場人物をいきいきと表現する文章は、私を魅了した。

『せんたくかあちゃん』『14ひきの』シリーズは特に印象に残っている。


小学校に入って『ズッコケ三人組』シリーズを読み始めると、ハチベエやモーちゃんの暖かい家庭は絵本よりも現実的に見えた。

ハチベエの家族(八谷家)はたまに「勉強しろ」とは言うものの基本的に放任主義であり、家業の八百屋を少し手伝わされる程度であとは同級生と遊ぶか、釣りをするかである。

しかも帰宅すると家族揃って食事ができるし、会話もある。

我が家などはたまに揃ってもお通夜状態だし、大抵は片親が欠員しているか、冷や飯をレンジでチンして妹と一緒に食べるかのどちらかだった。

 

モーちゃんの家族(奥田家)は父親こそいないものの、母と姉とでやはり会話のある食卓を囲んでいる。

このモーちゃん、大らかで柔い人間である上にクラスの女子からも人気がある。

奥田家の母がどう彼を育てたのかまでは忘れてしまったため省く。

 

さて、ハカセの家族(山中家)は、と書きたいが、山中家は我が家との共通点があるため、あまり魅力的には見えない。

父がのけ者にされており、鈍臭い妹との付き合いに苦労し、食事中、父親は黙っているか妻から小言を言われてそれに苛立たしく返答するのだ(これらの偶然の一致は、八谷家と奥田家に現実味を帯びさせた)。

 

中学高校でも色々な物語や小説を読んだりテレビ番組を見たりしたが(このあたりのことは後日気が向いたら書きたい)、どれを見ても「こういう良心的な家族が現代日本のどこかにいるはずだ」という思いしか出てこない。

とすれば、我が家と比較できるのは悪くても山中家しかないわけで、それよりも悪い家族は知らないから、我が家は自分の見聞き知っている限りは最悪の家族だったわけだ。

 

しかし高校を中退し、1日中ネットサーフィンをしていると我が家など消し飛んでしまうくらい仲の悪い家族がそこにいた。

インターネット上にいる同志や、同志でなくとも悲惨な状況に陥っている家族が初めて目に見えたのだ。

束の間の優越感に私は浸った。

ともかく気味がいいのだ、こんなちゃらんぽらんな家族に比べたら我が家なんか可愛いもんだ、と。

 

大学に入り、煙草を吸うようになるとその優越感は一気に壊された。

家の中では吸えないから、私は玄関先で吸っている。

いつものように煙草をくゆらせていると、向かいのおばあさんが出てきた。

煙草に火を付けようとしているのだが、オイル切れだろうか、ヤスリが擦れる音しかしない。

「火、貸しましょうか」と問うと彼女は道路まで出てきたから私も道路に出て、ライターで着火してあげた。

若干気まずい空気はあったが、彼女は急に自分の家族の話をし始めた。

「休みになると孫娘が子供たちを連れてきてうるさいけど…すみませんね」

「ああ、元気ですよね、いつも走り回ってるみたいで…」

隔週で家の前にとまるワゴン車はどうやらそれらしかった。

ヤンママとその夫が子供2人を連れてきて、近くの公園で毎回遊んでいるのだが、どうやら彼女の孫とその家族だったらしい。

 

「あの子、高校のとき一度息子と殴り合いの喧嘩になったことがあるけど、今はあたしたちによく孝行してくれてるよ」

知らなかった、ずっとお向かいのはずだったのに、私は何も知らなかった。

かなり険悪な仲に落ち込んだ家族もここまで回復できるのだ。

ひょっとしたら今までネット上で見てきた家族たちも将来はこうなるのかもしれないと思うと、急に優越感は弾け、劣等感が襲ってきた。


この劣等感から逃れるには家族仲を改善するしかない。

先のヤンママや、あるいは稼ぎ手が遠洋漁業や単身赴任している家庭のように、実家との物理的距離をあければある程度は互いに頭が冷えるのではないか。


春からの一人暮らしは結果的に家族仲の改善に繋がるかもしれない

 

アニメと焦燥感

アニメを見ると背筋に冷たい汗が流れる。

一種のアニメアレルギーと言っても過言ではないだろう。

私は青春物語とか、セカイ系と呼ばれるアニメを見ることをやめている。

高校生や大学生が出てきて友人たちや恋人(たち)と協力して巨大悪を叩く、部活動を通じて仲間と仲を深め合う、恋仲になる、こういうストーリーに耐性ができていない。

『四畳半神話体系』や『ピンポン』は観られるけれども、『氷菓』や『クロスゲーム』は見るに忍びない。

後者2つは観ていて「こういう青春が過ごせなくて良かったのだろうか、ひょっとしたらこういう体験が世の中に本当にあって、それを過ごせたら私はもっと良い人生を歩めていたのではないか」という悔いや虚無感が先行してストーリーがあまり頭に入ってこないのだ。

前者は童貞臭さ、自分にも降りかかってきそうな運命を感じられるためにアレルギー反応はでない。

感情を抜きにして鑑賞したいのは山々だが、私自身のドロップアウトがアニメに付きまとって離れてくれない。

 

歳をとればアレルギーも緩和されるだろうか。

趣味をアニメ鑑賞にするにはそれが最後の希望だ。

しかしお爺さんになってから『氷菓』みたいな物語に興味を持てるかどうかはわからない。どうしようか。

 

 

レッド・オクトーバーを追え!

今週末は冬将軍が日本列島を襲うそうだ。

寒さが好きな私は寒ければ寒いほどテンションが上がり、頭も冴えるしより動きたくなる。


Red Army Choir - The Hunt For Red October - YouTube

そして寒くなる度に思い出すのがこの曲だ。

父親が元海上自衛隊員だった影響で、小学生だった頃から海軍を扱った映画をよく観ていた。

レッド・オクトーバーを追え!』は父親と一緒に観た、今のところ最後の映画である。

日本海へ躍り出てソ連の潜水艦を追いかけていた父は、この映画を見るとソ連原潜を監視しながら魚を釣っていたことを思い出すという(劇中でソ連原潜の艦長は亡命の理由を「強いて言うなら、釣りがしたい」と言っている)。

この曲はロシアの冷たく厳しい海を想像させ、同時に三角波を乗り越えてゆくような力強さを感じる(と勝手に思い込んでいるだけ)。

 

毎年冬になるとこの曲を聴くのだが、聴くたびにソ連の艦長が祖国と袂を分かったように、なぜ私と父の仲が疎遠になってしまったのかを思い出そうとする。

原因は彼にあるのか私にあるのかは思い出すごとに変わってくる。

ひょっとすると彼の悪口を吹き込んだ母親が悪いのかもしれないが。

 

古臭いけれども父親と酒を飲みに行く息子とか、出世して親を助けるという描写を再現できないのは、小学生だった私に対する裏切りだし、父親に対しても冷たくなってしまう。

どうしよう

 

Deutsch

私は第二外国語としてドイツ語を選択している。

通っている大学では2年に進級する前にそのまま第二外国語を学び続けるか英語を再び学ぶかが選べるのだが、面倒くさがりを遺憾なく発揮し、期限切れに気づいたときには大学側からドイツ語を指定されていた。

 

2年に進級してから2ヶ月、私の通う先は大学から精神科へと変わっていた。

最初はうつ状態と仮診断されていたものが、ある日小中学校とも一時的にではあるが不登校であったこと、高校を中退したことを医師に伝えると「適応障害だね」と言われた。

もともと勉強が好きではないからますます勉強しなくなった。当然今まで学んできたことは綺麗さっぱりと忘れている。

たまにそうなっている自分に気づいて希志念慮を抱き、夏の終わり頃には希志念慮と共に生きていた。

そのうち潜水艦が沈んで、乗員が缶詰状態になって二酸化炭素中毒死したという話を思い出して部屋を二酸化炭素で満たして眠ってしまおうとしたのだが、濃度が薄かったのかガンガンとした頭痛がしただけだった。

 

次の日の朝には自殺に興味をなくし、父の部屋から"Das boot"のDVDを持ち出して観た。

私は汗だくになって潜水艦を動かし、ドイツ語を話すおっさん達に親近感を覚えた。

単細胞だからこのおっさんたちにより親近感を抱こうとして、入学前に古本屋で買った『ドイツ語のスタートライン』と『基礎マスタードイツ語問題集』を開いたのが先月末だったと思う。

アルファベートは言えるだろうと思っていたら"J"で引っかかった。ううむ。

とにかく問題集を何周かすれば覚えちまうだろうととっかかったはいいものの、問題文を書き写して回答する時間よりも辞書をひいている時間の方が長いという体たらくだ。

しかもおぼろげに覚えている英語よりもメンドくさい。前置詞の格支配ってなんだ、再起動詞なんか作ってるんじゃねえ、と悪態をつきながらノートに向かっている。

 

ドイツ語の単位がとれたら絶対英語にシフトしてやる、と思いながら明日も明後日もドイツ語に悪態をつき続けようと思う。

M市と全然違う

我がK市は赤城颪と筑波颪が時間を変えてそれぞれやってくる。

ベッドタウン化した数少ない地区を除けば、あとは農地とその主の家がぽつねんと建っているばかりだから、風は何者にも邪魔をされず山を駆け下りてくる。

地元の中学生達は朝は赤城颪に向かって自転車をこぎ、夕方には小学生達が飛ばされた帽子を追いかけて通学路を逆行する。

夜は遠慮なく放射冷却をし、窓を湿らせる。

かの渋沢栄一赤城颪に吹かれて育った人物で、彼の我慢強さは風と寒さがつくったという。

 

バイト先からの帰り際、店長が「同じS県だとは思えないよ、こんなに風吹かないもん。M市と全然違う」という。

寒い、寒い、と言いながら彼がワゴン車に乗り込むのを、物心がついたころからK市に育った私は見世物を見るような目で追っていた。

 

都会との壁を感じた。

風ひとつに私は心一つ動かされないのである。

「田舎で子供を育てると感受性の豊かな子になる」とこちらへ引っ越してくる若い夫婦がいたり、リタイアした後に「自然豊かだから」という理由で越してくる老夫婦をちらほらと見かけたり、噂を聞いたりする。

しかし田舎で豊かになるのは見栄と暇だけである。

変化するものといえば近所のおばあさん達の噂と稲だけだ。刺激がない。

刺激がなければ感受性も育たない。

自然も豊かではない、田畑は人類が最初に行った自然破壊だ。

北海道を見よ、原生林を拓いた先人がいなければ当たり障りのない、絵に描いたような"自然"はなかったはずだ。

ひとえに、田舎へ好んでくる人間は無知であり、田舎に住まざるを得ない人間は金がない。

あるいはお化けか変人か。

 

K市を捨て、都会で感性を尖らせなければならない。

辞めてどうするんだ

聞き飽きた言葉だ。
小学4年生でスイミングスクールを辞めるとき、中学校の野球部を辞めるとき、高校を中退するとき、
何かしらの節目がある毎に教員から、両親から言われてきた。
私は毎度そこで口籠るのだけれども、今回ははっきりとした理由がある。
大学の近所で暮らすのだ。

我が家は埼玉県の北部、北関東と呼ばれてもまったく嫌な顔をされない地域にあるから、大学まで出ようとすると片道1時間半以上かかる。
「その時間で読書できるね」と言われたことがあるが、これは言い方が良いだけで列車の中では読書しかできないのである。
ベッドタウンから東京へ向かう列車は鼠色の背広やワイシャツに埋め尽くされ、そこでは泥のように眠りこけたり、やりたくもないおしくらまんじゅうの中で新聞を読むしか手段はない。
立ちん坊だと体力も使う。
しかも人がいながらも皆孤独だ、これにはほとほと参ってしまう。
通学するだけで気力を使うのに、大学に入れば講義と友達付き合いが待っている。
ならば大学から近いところに住んで気力と体力の消耗を防げばいいのではないか。半分は一人暮らしをしてみたいという願望だが。
幸い、休学していると付き合いも何もないし、バイト先が家からの徒歩圏にあったからほとんど休まずに通え、蓄えがある。

ドロップアウトしないための最終手段として、急ぎ物件を見つけたい。